松本での研究会で考えたこと感じたこと
2015年 02月 08日
上田薫先生とご同行した松本での研究集会から
2週間がたってしまった。
本当にバタバタしていて落ち着いて振り返る余裕がない。
予定を詰めすぎたくはないのだけれど。そうかといって
人生の時間は何もしないでいるとしないまま過ぎていってしまうという思いもある。
特に平日は朝から晩まで仕事して自分のすべてのエネルギーを放出しまくっているので
限られた休日にしか充電できないという気持ちも強い。
休日に誰とも出会わず本も読まず心を震わせることもなく・・となると
枯渇してしまう不安がある。
枯渇した心で子どもたちに接したくない。
できたら自分が安定した生き生きとした状態で接したい。
カリカリした細かいことでいちいち小言を言うような視野の狭い行動をとりたくない。
ということで納得づくでの最近休日の忙しさなのである。
1月の24,25日には新宿からの特急「あずさ」に乗った。
上田薫先生とMさんHさんは立川から乗ってこられた。
上田薫先生が特急のグリーン車内に乗り込んでこられたときの
オーラが忘れられない。
ただものではない方がお通りになるというような空気が確かに流れていたのがすごいと思った。空気を変える力がおありなんだ・・・と今さらだけど感じた。いまさら。
そうこうするうちに、無事、松本に到着。
私の大好きなき~んとした空気。冷涼な空気。
何度も心の中で「おいしい。おいしい。」といいながら空気をいっぱい吸い込んだ。
真っ白な雪を冠した山々が見える。空は高くすっきりとくっきりと真っ青だ。
松本にまた来られたことの幸せを感じた。
上田先生を宿にお送りした後
里山辺にある教育センターへ。
そこではすでに分科会が始まっていた。
「ひとつひとつの教師の問いに応じていくのではなく、自分の問いで追及してほしい。そのためには教師ではなく、子どもが学習問題をすえていけららよい。」
「加助の行動は正しかったのか正しくなかったのか」の答えはどちらもある。次に明治維新で確認していく。
そんなメモが自分の
ノートに残っている。
この1年間を振り返ると私の場合
もっと基本的な部分での悩みが多かったので余裕がなかった。
だから
すぐにこのメモを生かす、というのは難しいかもしれない。
それでも
自分の問題解決学習を必死になって行いながらいろんなかたの助けをいただきながら
乗り越えてきた。
このメモが今すぐでなくてもいつか生かせたらいいな。と思う。
夜はI先生と隣り合った。母と同じぐらいの年齢の先生だ。その近くには学生さんがいらっしゃった。学生さんはK先生との出会いでこの集会に来られたことのご縁を語っていらっしゃった。
その時I先生がおっしゃっていた言葉が忘れられない。
「大学はどこの大学に行ったかどうかではない。どの先生と出会ったかどうかがだいじなんだ。君が今K先生と出会ってここにいることがだいじなんだ」とおっしゃっていた。
I先生は上田薫先生との出会いが大きかったそうだ。もちろん私もだ。
「私は上田薫先生のお考えに染まってしまっている。」とI先生に話したら
「そんなことはない。あなたの中に上田先生のお考えがすうっと入ってくる素地があったから入ってきたのだ。学生時代、同じように講義を受けていてもそうじゃなかった人は多くいるはずだ。今あなたがこうして上田先生といっしょに松本に来ていること。卒業後もこうしてずっとこの会に続けていられるのは、あなたの中に引きあうものがあったからだ。なかったらできていないことなのだ」といわれた。
その言葉がすごく心に残っている。
学生時代上田先生のご著書を読み
「あ。上田先生、私と同じ事考えてる!」なんて大それたことを考えたものだ。
その話をしたらI先生は上の話をしてくれて
「大それたことではないのだと思う。あなた自身の何かと上田先生のお考えが一致したのではないか。」といわれた。
そうだな。そうだなー。と心から思う。自分が教え子にとってのそんな存在になれたら大きな喜びだろう。残念ながらそこまでのオーラや影響力は自分にはないように思えるけれど。
でもいいんだ。それでもいい。それでもいいけどこれからも学んでいきたい。そんな風に思えた松本の夜だった。
2週間がたってしまった。
本当にバタバタしていて落ち着いて振り返る余裕がない。
予定を詰めすぎたくはないのだけれど。そうかといって
人生の時間は何もしないでいるとしないまま過ぎていってしまうという思いもある。
特に平日は朝から晩まで仕事して自分のすべてのエネルギーを放出しまくっているので
限られた休日にしか充電できないという気持ちも強い。
休日に誰とも出会わず本も読まず心を震わせることもなく・・となると
枯渇してしまう不安がある。
枯渇した心で子どもたちに接したくない。
できたら自分が安定した生き生きとした状態で接したい。
カリカリした細かいことでいちいち小言を言うような視野の狭い行動をとりたくない。
ということで納得づくでの最近休日の忙しさなのである。
1月の24,25日には新宿からの特急「あずさ」に乗った。
上田薫先生とMさんHさんは立川から乗ってこられた。
上田薫先生が特急のグリーン車内に乗り込んでこられたときの
オーラが忘れられない。
ただものではない方がお通りになるというような空気が確かに流れていたのがすごいと思った。空気を変える力がおありなんだ・・・と今さらだけど感じた。いまさら。
そうこうするうちに、無事、松本に到着。
私の大好きなき~んとした空気。冷涼な空気。
何度も心の中で「おいしい。おいしい。」といいながら空気をいっぱい吸い込んだ。
真っ白な雪を冠した山々が見える。空は高くすっきりとくっきりと真っ青だ。
松本にまた来られたことの幸せを感じた。
上田先生を宿にお送りした後
里山辺にある教育センターへ。
そこではすでに分科会が始まっていた。
「ひとつひとつの教師の問いに応じていくのではなく、自分の問いで追及してほしい。そのためには教師ではなく、子どもが学習問題をすえていけららよい。」
「加助の行動は正しかったのか正しくなかったのか」の答えはどちらもある。次に明治維新で確認していく。
そんなメモが自分の
ノートに残っている。
この1年間を振り返ると私の場合
もっと基本的な部分での悩みが多かったので余裕がなかった。
だから
すぐにこのメモを生かす、というのは難しいかもしれない。
それでも
自分の問題解決学習を必死になって行いながらいろんなかたの助けをいただきながら
乗り越えてきた。
このメモが今すぐでなくてもいつか生かせたらいいな。と思う。
夜はI先生と隣り合った。母と同じぐらいの年齢の先生だ。その近くには学生さんがいらっしゃった。学生さんはK先生との出会いでこの集会に来られたことのご縁を語っていらっしゃった。
その時I先生がおっしゃっていた言葉が忘れられない。
「大学はどこの大学に行ったかどうかではない。どの先生と出会ったかどうかがだいじなんだ。君が今K先生と出会ってここにいることがだいじなんだ」とおっしゃっていた。
I先生は上田薫先生との出会いが大きかったそうだ。もちろん私もだ。
「私は上田薫先生のお考えに染まってしまっている。」とI先生に話したら
「そんなことはない。あなたの中に上田先生のお考えがすうっと入ってくる素地があったから入ってきたのだ。学生時代、同じように講義を受けていてもそうじゃなかった人は多くいるはずだ。今あなたがこうして上田先生といっしょに松本に来ていること。卒業後もこうしてずっとこの会に続けていられるのは、あなたの中に引きあうものがあったからだ。なかったらできていないことなのだ」といわれた。
その言葉がすごく心に残っている。
学生時代上田先生のご著書を読み
「あ。上田先生、私と同じ事考えてる!」なんて大それたことを考えたものだ。
その話をしたらI先生は上の話をしてくれて
「大それたことではないのだと思う。あなた自身の何かと上田先生のお考えが一致したのではないか。」といわれた。
そうだな。そうだなー。と心から思う。自分が教え子にとってのそんな存在になれたら大きな喜びだろう。残念ながらそこまでのオーラや影響力は自分にはないように思えるけれど。
でもいいんだ。それでもいい。それでもいいけどこれからも学んでいきたい。そんな風に思えた松本の夜だった。
by nanaco-bookworm
| 2015-02-08 19:30
| 同志
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